私は、何だかんだと毎日愚痴っているが、”本当は幸せなんだ”という気持ちがふっとよぎる事がある。


自分だけが不幸みたいな、卑屈な気持ちは全く無い。


災害で停電、断水、家に住めなくなる、愛する人を亡くす、自分が負傷,したり病気になる…などなど、体験した人でないとわからない大事なもの。それが幸せの本質。

いかに貧しくても、旦那がろくでなしでも、何とか平凡に生活していた事がいかに幸せであったか、失った物がいかに大事なものであったか、私の場合、いやと言うほど感じるだろう。
文句ばかり言っていた自分を恥じるかもしれない。


「ただいま!」と、仕事から、学校から皆が家に帰る。


外で色々あった事を何やかんやと愚痴ったり、ため息つきながらも家事をやり、食卓に座って食べ、テレビを見る。


そんな何気ないシーンが最高の幸せなのだと思う。

どこで災害が起きるかわからない、ある日突然起こり、その幸せは一瞬で奪われるのだ。
それっきり元の生活に戻れなくなる事もありえる。


自分もそういった体験が無い訳ではない。当時、幸運にも元の生活に戻れたが、もし運が悪かったら…想像すれば、いかに今の生活が幸せかひしひしと感じる。


自己愛男がケチであっても、少しの送金でも、今の生活が維持できるなら感謝しようと一瞬思う。

そして自分には、この幸せを維持していけるよう、頑張れと言い聞かす。



母が、「あなたは子どもたちに恵まれて、うちの家族の中で一番幸せに見える」と言う。
駄目な旦那の事をわかった上でそう言う。



それはそうかもしれない。家族皆に感謝している。相手には通じていないと思うが。
子どもから見れば、ダメダメな母親だろう。


と言いながら、自己愛男への感謝はほんの1ミリだけ。

以前はしっかり感謝していた。しなきゃいけないと無理していた。それがいけなかった。



奴は妻子の事を「僕への感謝が足りない、ダメな家族」と思っている。


「僕の自分勝手を許して長年我慢してくれた妻子に感謝する」なんて意地でも言わない。もともとそんな気持ち、どこにも無さそうだ。


奴の思う幸せは、私の思う”平凡な日常で”は無く、全く別の物らしい。